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ガチンコ!ゲイ男同士の…

GLBTってなに?

最近、ネットで海外のゲイサイトを覗いていると、よくGLBTという言葉をみかけます。これは、ゲイ、レスビアン、バイセクシュアル、トランスセクシュアルの頭文字をとった略語なんだそうです。

以前はゲイとレスビアンの頭文字をとったGLという言葉がよく使われていました。

この言葉は異性愛者と区別して男女の同性愛者を指す言葉として使われていたと思うのですが、そのうち同性愛者でも異性愛者でもない、男も女も両方イケルという人間のためにバイセクシュアル(両性愛者)というカテゴリーが追加され、 さらに性転換者のためにトランスセクシュアルというカテゴリーが追加されて、全部ひっくるめて性的マイノリティー(少数派)としているみたいです。

しかし、こんな風に次から次へといろんなカテゴリーを追加していったら、しまいには純粋な異性愛者が少数派に転落してしまうんじゃないでしょうか。

実際、欧米以外の地域では、バイセクシュアルは必ずしも少数派ではありません。

バイセクシュアルを男女両方とセックスする人間であると定義したら、ほとんどのアラブの男はバイセクシュアルになります。
またラティーノと呼ばれる中南米の男性にもバイセクシュアルの傾向が強いと聞いてます。

日本でも、江戸時代には男色と女色の両方を楽しむのが一般的だったとものの本には書いてあります。

人間は本来、男と女の両方とセックスできる動物で、どちらか一方の性としかセックスできないという方が少数派なんじゃないでしょうか。

こんなことを言うと、なにを馬鹿なことを言っていると嘲笑されるに決まっているので、これまで口にしたことはなかったのですが、これがアラブの国に5年間、住んで感じた私の率直な印象です。

アラブの国にいたとき、誘った男の99%はものにしてましたが、その中で自分のことを同性愛者だと自覚して男としかセックスしないという男は稀で、ほとんどは男女両方ともOKという連中でした。

彼らは、自分がゲイであるか、ストレートであるか、それともバイセクシュアルであるか、などと考えたことなど一度もなく、チャンスさえあれば、相手が男であろうが、女であろうが喜んでセックスするという感じでした。

日本人を含む非欧米人は、白黒をはっきりさせないと気がすまない欧米人とは異なり、白でも黒でもない、あいまいなグレイの部分を大切にするというか、物事をはっきりさせないで、わざとあいまいな状態に放置するのを好む傾向があるような気がします。

セクシュアリティーについても同様で、いちいちカテゴリ分けしてレッテルを貼りたがる欧米人とは異なる感性を持っているんじゃないでしょうか。

日本では江戸時代まで男色が普通に行われていたそうですが、それは今でいうホモ=同性愛者が多かったということではなくて、いわゆるノンケの男が男色と女色の両方を楽しんでいたということらしいです。

それが現在のように男とセックスすることが特殊な行為であるようにみなされるようになったのは、明治の開国を機に日本人が西洋文化を積極的に取り入れる努力をするようになったことと関係があると思います。

日本人は、西洋文化を取り入れる過程で生殖目的以外の性を罪悪視する(同性愛や売春を否定する)キリスト教文化圏の罪の文化を中途半端に受け入れてしまったのです。

中途半端というのは、日本人は肝心のキリスト教それ自体は受け入れなかったからです。(少数の日本人キリスト教徒は存在しますが)

おかげで欧米みたいに宗教観に根ざした激しいホモフォビアは日本では生まれなかったのですが、表面的にせよ欧米化したお蔭で、男色行為は自然に反する不道徳な行為であるという「常識」が日本社会に広まることになったのです。

私に言わせれば、日本のゲイリブ活動家というのは、欧米から輸入されたホモフォビアを、これまた欧米から輸入したゲイリブ思想で闘うというけったいなことをやってる連中で、そんなややこしいことをしなくとも、江戸の昔に戻れば良いのです。

実際、私には、最近の日本人は、徐々に先祖返りしつつあるようにみえます。

明治以来ひたすら欧米に追いつけ、追い越せで頑張ってきたのが、少なくとも経済的には欧米に追いついたことで気が緩み、性にたいして寛容というか、いい加減な本来の日本人の姿に戻りつつあるような気がするのです。

そのうち、SMと同様、ホモセックスも(ゲイリブ運動とはまったく関係ないところで)市民権を得るようになるんじゃないでしょうか。

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